トレーニング、いろいろしたよ
トレーニング、あれこれ。
長男は、療育センターに、小学3年生から4年生までの2年間、月1回1時間のペースで通園していました。
作業療法士さんから1ヶ月の自宅でのトレーニングの成果や、次の課題を考えてゆくものです。
ピアノの習い事と一緒で「課題が出され、自宅でコツコツトレーニングをする」というのが基本の流れでした。
トレーニングは、いずれも体幹を意識するような運動が中心。
様々なトレーニングをしたのですが、中でも、本人が楽しそうだったものを紹介します。
だるまさん、ゴロゴロ
足をもって、右・左にゴロゴロする運動。
これが、途中で、グニャーとなったりして、なかなかうまゆくかない。
ちょっとした時間にできる運動なので、長く続けられました。
飛行機、ブンブン
あおむけになって、手足をあげる運動。
ここも、いっぱいふらついていました。
普通は、赤ちゃんの頃に、こうした運動をするらしいです。
そういえば、長男は、こうした動きを一切してませんでした・・・!
難しいですが、こうした飛行機ブンブンも。
バランスボール、ぴょんぴょん
療育ではおなじみの、バランスボール。
手をあげたり、ヨコにしたり、L字にしたり。
ピョンピョンしながら、先生の言うように手の上げ下げ運動をしました。
股関節を柔らかくする運動
股関節がとっても硬かったので、柔らかくする運動もしました。
ここで、もう痛い・・・!
こうした運動をコツコツ(頻繁に怠けてしまってましたが・・・)しました。
子どもはウソをつく生き物。ウソを見抜け!
きっかけは、長女の友達のウソに気づいたこと
これまで疑問に思う発言がいくつかあったのですが、冬休み、明らかに辻褄が合わない発言がありました。
そのウソのつきかたの様子が、これまでの発言のときと似ていて、すべてウソだったのではないか、とハッと気づかされたのです。
子どもはウソをつく生き物
思えば、これまで、長男をはじめ、子どもたちみんなが「ウソをついているかも」とか考えたことがありませんでした。
なんてこったい!
思えば、子どもというのは、ウソをつく生き物。
叱られるかもしれないときは、自分を守るためにウソをつきます。
また、自分に都合が悪いときや、非から逃れるためにウソをつきます。
他には、わざとかわいそうな自分を演出して、みんなから注目されたいためにウソをつくことだってあるんです。
母、子どもはウソをつく生き物だということ、長女の友達のウソに騙されて、ようやく気づいたのでした、、、。
過去、ウソをつかれたか、わからない、、、
改めて思い返すと、母、子どもたちからウソをつかれていたことがあるかもしれないのですが、思いあたるシーンがありません。。
子どもたちが巧妙についていたからか、本当についたことがらないからか、、、。
どちらかわかりませんが、今後は、注意して行きたいと思います。
長男
ウソをつくほどのずる賢さはないが、都合の悪いことは隠す
長女
ウソをつくシチュエーションがまだない?
次女
コミュ力が高く、親にウソを見抜く力が必要
次男
まだ、バブバブだから、わからない
正直に告白したら、絶対、叱らない
あと、ここも大事かと、備忘録としてメモします。
ウソを見抜いたときは、
「正直に告白したら、誉める」
「決して叱らない」
もし、子どもが正直に告白して、親から怒られるようでは、この先、絶対に正直なってくれません。むしろ、輪をかけて、ウソが巧妙になり、ウソに慣れ、罪悪感もなくなるでしょう。
ウソをつくという行為を止めるためには、ちゃんと正直に告白したことを誉めるべきではないかと。
ここ、とっても大事なことだと思うので、ブログに備忘録しておきます。
授業中に、迷路づくり&あやとり。
授業中に「迷路を書く」、「あやとりをする」・・・
長男、9月以降は、母による忘れ物チェックや、連絡帳チェックをしない日々を過ごしていました。
そこで、こんな事態になっていたのです。
社会の教科書&ノート、4月からなかった! - 学習障害の子をもつ母の日記
ここで、疑問に思うのが、「教科書&ノートがなくて、授業中に何をしていたの?」ということ。
こんなことをしていたそうです。
壮大な迷路を作る
見開きノートに、壮大な迷路が。
母、迷路のことを問いただすと、
長男:「あ、そうなんだよ。これ、迷路が繋がってないんだよ。トンネルとか作ったんだけど・・・」
そういう意味ちゃうわい!!(笑)
あやとりをする
手をこちょこちょと動かしていたのだとか。
さらに、隣の女の子も、あやとりを始めるようになっていたのだとか!
おいおい、余計なことが周囲に影響してるやん!!
知るきっかけは、長男の友達との雑談
実は、これらは、長男の友達・G君との雑談から、知りました。
長男不在の日に、G君が遊びに来たので、せっかくだから、私とG君とでざっくばらんにいろんなお話をしていたのです。
G君:「(長男の名前)○○ってさー、授業中、あやとりをしてるんだよー」
私 :「ふーん(笑)。上手になってるんかなぁ」
G君:「ノートも、社会の時間なのに、算数が出ていたりするんだよ」
私 :「へー、でも、種類は一緒だから(5ミリ罫)、それでもいいのかもね」
その場では平静に聞いてましたが、内心、びっくり仰天。
たまたま、次の日が参観日だったため、先生にさりげなくお尋ねしたのでした。
先生:「あやとりでなくて、よく、迷路をしていますよ」
え!!
まじすか!?
11月から、改めて、連絡帳の記入と、教科書&ノートの持参を徹底し始めたのです。
それは、また次回で。
とにかく、さらっと教えてくれたG君には、感謝。
雑談って大事だし、ときどきいろんな人と直接、会ってコミュニケーションをとって、情報収集しておかないとな、と思ったのでした・・・。
社会の教科書&ノート、4月からなかった!
母が気を抜けば。「宿題しない」「連絡帳は白紙」「忘れ物いっぱい」だった!
9月から10月くらいまでは、あまり長男に干渉しない日々を送っていました。
他のきょうだいに手がかかっていたこともありますし、「さすがにもう干渉しなくても大丈夫だろう」と私自身が長男を信頼していた部分もあったのです。
ところが!!
11月になり、これらが発覚しました。
・宿題を溜め込んでいた
特に、漢字ドリルはさんざん。空白だらけ。
・連絡帳は白紙
あれだけ取り組んでも、ダメなのか・・・
ふせんクイズ カテゴリーの記事一覧 - 学習障害の子をもつ母の日記
・教科書&ノート等、忘れ物だらけ
連絡帳が白紙なんだから、当然。
いろいろ取り組んでしつけをしても、母が気を抜けば、すぐに元に戻るっていたのです・・・。
母、ため息。
母が継続すべきだったのか、本人の問題として放おっておくべきか
母、あれこれ悩みました。
「これは、継続しなかった母が悪いのか・・・。」
「それとも、本人の問題として、放おっておくべきなんじゃないか。もう5年生だし・・・。」
「とはいえ、まだまだ幼い部分もあるから、母のフォローがまだまだ必要だったのかもしれない・・・」
あれこれいろいろ、いろいろ、悩みます。。
一方、長男は、とても、楽観的で、能天気。
衝撃事実!「社会の教科書が、4月からなかった」
そんな中で衝撃的なことが発覚!
社会の教科書&ノート&地図帳が、ない!
しかも、4月から。
ずーっとなしで過ごしていたことが発覚したのです。。
ノートは、机の本棚にいろんな資料とまじっていました。
地図帳は、絵本の本棚にありました。
ですが、教科書は、どんだけ探しても・・・ない!
ってか、家にない!!
教科書さんは、学校か、よそのお家に旅に出ているのかもね、ととりあえず、本人に学校で探してもらうことにしました。
先生の本棚にありました
翌々日、すぐに社会の教科書はみつかりました。
なんと、先生の本棚。
4月から使っていないので、折り目もなく、めちゃくちゃキレイ。ほぼ新品。どないなってんねん!
ところが、残念なことに、見つかったのは、11月。
次の授業から、社会の教科書は、上巻から下巻になったのでした・・・。
見つかっても、使うことなく、おさらばしてしまった教科書・・・。
もったいない。。
ほんと、こうしてブログにしていたら、めっちゃ、笑う~・・・。
授業中、何をしていたんだろう・・・?
ここで、疑問が。
「教科書もノートも、地図帳もな
く、4月から授業で、何をしていたんだろう・・・?」
「社会のテストは、安定して100点か90点以上。その知識は、一体、どこから入っているんだろう・・・?(特に地図帳の知識)」
ほんまに、謎だらけ。
この前者の謎(授業中、何をしているのか)は、その後で、わかるのです。
それは、次の投稿で・・・!
その後、教科書は、なぜか持って行く必要ないのに、学校に持ってゆく日々があり(今更かよ!)、すこし使われた感がでたのでした。
IchigoJam旋風!BASICでプログラミング
クリスマスプレゼントは、子どもパソコン「IchigoJam」
先月、我が家にもサンタクロースがやってきました。
長男のプレゼントは、IchigoJamというBASICのプログラミングができる小型パソコン。
ずっと欲しかったものだけに、大喜びしています。
一緒にプレゼントされた本にある、コードをひたすら書いています。
計算機や、数字クイズ、そしてインベーダーゲームみたいな簡単なシューティングゲームを作って、友達を遊びたいのだとか。
プログラミングは、コードを写す時に「これはどういう意味か」を考えますし、論理的なので、おすすめです・・・!
パソコンと発達障害は、本当に親和性が高いかも・・・と思う
漢字の宿題ともなれば、1分で飽きてしまう長男。
それは、当然、書くだけでヘトヘトになっている風だからです。そもそも、ミスばっかりするから、やる気もおこらない。
ところが、パソコンのプログラミングは、朝からずっとやっています。
スクラッチもそう。
夢中。
文字を打つのも、速くなってきています。
書くよりも、打つ方が速いかもしれません。ミスが少ないし。
本当に、パソコンと合うんだなぁ、と思うのでした。
大学のルービックキューブ・サークルに参加・憧れの大学生から教わる
キューブの大会について問い合わせてみた
キューブを始めて半年の長男(小4)。
1分くらいのスピードで完成できるようになってきました。
この頃には、ルービックキューブ協会なるものがあって、ルービックキューブの大会があることを知りました。
「キューブの大会にでてみよう!」
出てみたい大会は、とある大学のルービックキューブ・サークルが主催しているらしく、そのサークルにメールで問い合わせてみました。
もちろん、本人がパソコンでメールを打ちます。
メールを打つのは、始めてなので、メール文の書き方、文章の書き方を学びました。
大学生からのお誘い
大学のルービックキューブ・サークルさんからのメールの回答は、こうでした。
・今年は開催しない
・その代わり、次は初心者向けの大会がある
さらに、「一緒にキューブしましょう!」とのお誘いがあったのです。
その大学生さんは、10秒は切っている凄技の持ち主。そんな速い人なんて、長男の憧れです。
それに、これまで、10秒を切るスゴ技を見たことがありませんし、一度、見てみたいと思っていた長男の目は輝きました。
夜、電車で一人の行き来
ところが、サークルがあるのは、平日夜。
しかも、大学は、自宅から50分ほどの場所にあります。
当然、私は他の3きょうだいの世話もあるので行けませんし、主人も仕事。
母 :「ごめん・・・一人で行ってもらっていい?」
長男:「いいよ!行く!」
好きなことをしに行くのですから、一人で行くのもへっちゃら。
少し、「自立」という言葉が浮かんだ瞬間でした。
自立と、自信、やる気・・・そして「憧れ」
長男には、この経験が大きな成長になりました。
<自立>
・夜に、電車で一人で行き来した
<自信とやる気>
・大学生という雲の上のような存在の人から教わった
・凄技を見た
・初対面の人と一緒にキューブをした
そして、やっぱり10コ上の大学生らと交流したこと、憧れの存在ができたことが何よりもの収穫でした。
好きなものがあるって、大事!
また、好きなことができるって、本当に大事だな、と思いました。
好きなことに邁進するためには、メールをうたなくちゃいけない、メール文の形式も覚えなくちゃいけない、電車も一人で乗らなければならない、初対面の人と交流しなくてはならない・・・などなど、いろんな「チャレンジ」がまるで枝のように出てきます。
枝が増えれば増えるほど、伸びれば伸びるほど、自信ややる気、自立につながっていくんだな、と気づきました。
母は「学校教育」にとらわれすぎていたかも・・・。
勉強は苦手、運動も苦手、音楽も苦手・・・。
「学校のありとあらゆること」が苦手な長男。
これまで、私は、「学校教育が大事」という固定観念にとらわれすぎていたような気がします。
好きなことから伸ばすのがいいんだという意味が、飲み込めていなかったな、と思いました。
私の中でも、「子育てとは」「教育とは」といった、何かが変わった出来事でした。
子どもから教わってるなぁ、と実感したのでした。
すごいキューブ!
長男の2語文の発話は3歳前後、この他にも「?」なことはありました
長男の2語文の発話は3歳前後だった
発達の検査を受けたのは、3年生の春でした。
一人目の子なので、言葉の遅さは、とても気になっていたので、両祖父母にいっぱい相談して、アドバイスをもらっていました。
何より、祖父も言葉が遅かったそうですし、「大丈夫じゃないか」ということで楽観していたのもあります。
ですが、言葉以外にも、ちょっと「あれ?普通と違うかも」と思うことはありました。
いくつか上げておきます。
1 踏切が大好きで、とても執着していた(10ヶ月~5歳)
踏切好きは、10ヶ月頃から、5歳くらいまで続きました。長かったです。
「カンカン!カンカン!」と言って、踏切を1時間は平気で眺めていました。
もちろん、光る踏切にとても執着していたので、開かずの踏切が大好き。
光出すと、「アアー」と言って、飛び跳ねて喜んでいました。
当然ながら、電車が1時間に1本あるかないかの、田舎の踏切より、都心の踏切が大好きでした。
思い出すのが、3歳くらいだったか、有名な東武スカイツリー線の竹ノ塚駅の、デラックス踏切を見に行ったときのこと。
それはそれは興奮していました。
興奮しすぎて、帰るのが大変でした。「帰る」という言葉に、ものすごい抵抗をしていました。普段の生活もそうだったのですが、執着するものについては、本当に切り替えがとても難しかったです。
11歳になった今、当時のことを語るのですが、自分が踏切好きだったことすら忘れています。理由を聞いても、「わからない」の一点張りです。
あの頃は、将来「踏切博士」になると思っていたのになぁ(笑)
2 副担任の手をずっと繋いでいた(年少の春)
年少の春から夏くらいまで、副担任の先生の手をずっと繋いでいました。
大集団の中で、心は不安でいっぱいだったのでしょう、手をつなぎながら、砂遊びをしたり、お遊戯をしていたそうです。
次第に幼稚園生活に慣れてきたからか、手をつなぐ行動は、夏休み前には、終わっていました。
3 タコの絵が描けなかった(年中の冬)
年中の冬の作品展で、どうしてもタコの絵がかけませんでした。
当時の先生から、見本の絵を指して、
「赤いクレヨンで、足が8本あって、頭は丸くかくんだよ」
と細かく伝えられたのですが、
「ゔーん、ゔーん」
とずっと白紙のまま。
お絵かきの時間はひたすら悩み続けていたそうです。
結局、先生が手を添える形で、描いたのだとか。
ぱっと思いつく限りで、こんな感じです。
当時は、日記やらブログを書いてはなかったので、ほとんどは忘れていますが、思いつくのはこのくらいです。
ご参考になれば、うれしいです。