発達2児と定型2児。4児の母のつれづれ

4児の母です。子どもたちをどう伸ばすか、育てるとはどういうことか、つれづれなるままに書き綴ります。長男・高専2年(書字障害、のび太)、長女・中3(不安気質な定型、出来杉)、次女・中1(コミュ力高く、情緒安定しまくり定型。ドラミ)、次男・小3(支援級、知的なしASD、バケラッタ)。

漢字を学ばなくてはならないという、固定観念

 

長男は、漢字が本当に苦手です。

鉛筆をもつのも、億劫なので、複雑な文字を書くのが苦手なのは、当然です。

 

そこで、苦手克服ということで、こんなことにチャレンジしていました。

 

冬休みに毎日、漢字ドリルをして、100点をとったんだが・・・

  

冬休みの宿題に、漢字プリント(1枚)がありました。

 

休み明けにまったく同じプリントでテストをするのだそうです。

本人が「100点を取りたい」というので、

「だったら、全部覚えられるまで、何枚もコピーしてやろう!」

とウキウキでチャレンジしました。

 

本人、めっちゃやる気。

 

コピーしたものを、毎日、同じ問題を解いていました。

 

最初は、50点だったものが、日々、5点づつアップしてゆき、正解率も高くなってゆきます。

休み終わりには満点を取ってきました。

ごっつええ感じ

 

もちろん、休み明けのテストは100点でした!!

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やったね!!

本人は、はじめて100点をとったので、大喜びしていました。

 

 

ところが。

 

その1か月後、学校で、同じプリントが出されました。

結果は、60点くらいだったのです。

戻ってるやーん!

 

 

原因は、こんな感じでした。

・記憶に定着していない

・点や線がなかったり、欠けたりしている

 

それをやって、母、ようやく気付いたんです。

「この方法はアカン! 漢字はいったんあきらめよう」

 

 

書字障害の子が背負う、「漢字という苦行」

 

これ、日本人だからこそ苦労するものじゃないかと思ったんです。

 

 

もし、ハングル語だったら・・・?!

 ↓

表記自体が発音記号だし、文字数も単純、そもそも種類が少ない。

漢字もなーい!

 

 

もし、英語だったら・・・?!

 ↓

スペルミスはあるけど、漢字がない。

アルファベットは文字数が少なく、単純で書きやすーい!

みんな字がめっちゃ汚ーい!

 

そもそも、「漢字」が日本に広まったのは、一部の高度なインテリ層による、高度なインテリ層向けの文書なんじゃないかと思います。

日本だと、藤原のなんたら道みたいな人がリア充自慢したくて日記をしたためたとか(一部貴族向け)、大伴のナンタラ持みたいな人が「オレの和歌、すごいでしょ?」と、暇を持て余して本にする・・・今でいう自費出版しちゃったとか(これも一部貴族向け)。それが「いいね!」と拡散したような気もします・・・。違うかな?!

空海みたいなスーパースターの書をまねるのはいいですが、あんなスーパー字きれいで、スーパー教えがすごくって、果ては、ため池バンバンつくったり、山に寺作ったり、唱える念仏が阿弥陀となって口から出てくるというマジックまでする(←別人だ(笑))超人と同じような文字を、全員は書けんやろ、と。

そもそも、クラスに1人という高ーーーい頻度でいるLD児のための、文字じゃないです。グレーもいれたら、もっといるはず。記憶に定着しづらいし!書けんし!

 

ハングルは、文字が読めない人のために考えられた文字ですし、アルファベットは・・・どうなんだろう・・・少なくとも知識層が知識層だけに分かるように考えられた文字ではないような気がします。

 

 

 

そこで思いました。

 

漢字ってそんなに正確に書かなくてはあかんもんなん・・・?

 ↓

パソコン・スマホで正しく選択できてれば、ええやん!

 

トメハネまで、細部まできれいに書かなあかんもんなん・・・?

 ↓

ちゃんと伝わればええやん!

パソコン・スマホで代用すればええやん!

 

 

私は、これまで、漢字は覚えなくてはならないもの、書けて当然のもの、きれいに書いて当然のもの、と思っていました。

高校では、毎日、漢字のテストがあり、10点中7点以下だと膨大な漢字レポートを書かされました。トメ、ハネ、ハライ、きっちりしていて正解です。7点以下のレポートは、2時間、ひたすら集中してようやく仕上げられるものでした・・・(涙)。(この指導法、今でも続いているらしい)

 

なので、漢字については「トメ・ハネ・ハライは絶対ね」「きっちり書けて当たり前ね」と強い固定観念を持っていました。

でも、もうおさらばしなくちゃと思ったんです。

 

もちろん、漢字は大事です。

 

でも、どうしてもできない子がいるというのも事実で、そうした子をしっかり社会に出すのも親の務めなんですよね。

「絶対」とか「ねばならない」っていうのは、本当はどこまでなのか、毎日、模索しています。