友達って、絶対にいたらいいもの?!
長男は、いつも「ひとりぼっち」。
先日、参観日でした。
長男、学校では相変わらず、「ぼっち」。
放課後も、誰とも遊ぶ約束をしません。いつも「ぼっち」。
そう、これは今に始まったことではないです。
幼稚園でも「ぼっち」でした。
クラスメートの友達の名前を知らないこともしばしば。
家でも、こちらが質問しない限り、友達の話はしません。
ちなみに、唯一、仲良く遊んでいる同世代は、またいとこの、1コ上のR君だけです。
これって、「友達」でなくて「親戚」。ですが、仲良しなので、我が家では「友達枠」です・・・。
母が、友達を我が家に誘ったりしたこともあったけど、変わらない・・・
長男は、友達と関わることをしない、ってか、そもそも人に興味がありません。
母、「これはマズい!」と、小4くらいまで、お友達を呼んだり、わざと公園にきょうだいを引き連れて公園に行ったりと、いろいろやってきました。
でも、彼は変わらない・・・、、、。
根本的に「人に興味がない」!!
友達をつくることってそんなに大事?
そこで、気づいたんです。
「友達をつくることって、そんなに大事なのか?」と。
私達、マジョリティの人は、SNSのせいで、以前よりももっと、「友達いっぱいつくる病」「友達とかかわってないとダメ病」にかかってる。
入学前の歌「友達100人できるかな~」なんて、そもそも、マジョリティの発想の歌です。長男みたいなタイプのコには、ピンと来ない。
人間は集団的な生き物だから、ほとんどの人は、人間同士の繋がりを大事にする脳でできている。
でも、中にはマイノリティとして、友達をつくることに関心がなく、周囲の世界に感動していたり、没頭する世界にはまっていて、それが喜びっていう人もいる(はず!)。
長男は、遊ぶ友達はいないけど、毎日、一人でプログラミングや、電子工作、読書(ジャンルが偏ってる)、ルービックキューブをしていて、とっても幸せなんですよね。
マジョリティの人たちの価値観が、すべてが正しいわけではない。
ぼっちの長男を見て、
「友達がいなくてかわいそう」
「友達がいなくて寂しそう」
と思うのはどこか間違っていると思うのです。
人間関係は、誠実さがあれば合格
通級の相談に行った時に、こう言われました。
「友達同士の関わりがないと、これからが困ります。『これを言ったら怒るな』とか、『これを言ったら悲しむな』とかいった人間関係の勉強ができなくなります」
と。
いや、違う!
今は、こう思うんです。
「友達との関わりは、それほど大事なものではない」
「人間関係は、誠実さがあれば、何でも乗り切れる!」
人に興味がないから、緊張する舞台でも、緊張しない
人に興味のない長男には、メリットが。
人の視線を感じないから、「緊張しない」のです。
誰がどう思っているかに関心がないので、何かの大会でも、練習どおりの結果を出します。
例えば、ルービックキューブ。大会では、練習通りの結果を出します。「ベストタイムを出す」と言ったら、本当にベストタイムを出してきます。
ただし、「人に興味がない」には、デメリットもあります。
他人が「困っているかどうか」にも無関心なので、気づかずに平然としていることも。
もう、ここは経験と誠意でカバーでしょうか。
同じタイプの方、発見!
ちなみに、母、最近、同じようなタイプの人を発見してしまいました!!
「宇野昌磨選手」です。
「人に興味がない」「友達がいない」発言や、「緊張しませんでした」なんかが、まさにそう。
「こんなところにーー!」っていう気持ちで、インタビューを聞きました。
「大舞台では緊張するもの」っていうのは、マジョリティの人が決めた価値観。
純粋に誠実にただひたすら競技に向き合っているだけだと思います。
言葉が足りずにうまく伝わっていないところも、なんだかソックリ!
でも、その誠実さから、決して悪意はないことが感じ取れます。
その類まれな才能と資質、そして誠実さに、長男もこうあってほしいという希望を重ねながら、テレビでのインタビューをガン見してしまったのでした。