父の生き方から、「発達障害」を考える。
発達障害は遺伝・・・?
私の勝手な想像なのですが。
発達障害が遺伝性のものかどうかと言えば・・・
「耳あかがジクジクか、カサカサか、みたいな、はっきりとした優性・劣勢遺伝とかではない。はっきり確実に遺伝が表に出るわけでないけど、因子はもってる。しかも因子はいろんな種類がある」
ってな感じだと思ってます。
発達障害には、白黒はっきりしない、グレーゾーンがあるくらいですから、複数の遺伝子が複雑に作用してるのかな、と。
というのも、私の父は、発達障害の傾向があります。(私と主人、母、兄は、ほとんどないです。定型です。)
本人や親戚の話によれば、幼少期、
・発話は3歳過ぎてから
・切り替えが苦手でパニックになっていた
・ボールやなわとび、鉄棒が苦手
・人の顔色が読めず、思ったことを口にしてしまう
こんな感じの子だったそうです。
今だと、すぐに「1歳半検診で療育センター紹介」なはずです。
記憶力と空間認知に長けた父
ただ、父にはこうした長所もあります。
・記憶力がいい
・空間認知が強い(地図よみがうまい)
こういう特性あって、社会科の先生を勤めていました。無意識にそういう職業を選んだんだと思います。娘が言うのも何ですが、先生としての評価はかなり高かったらしく、父にとっては、天職でした。
なお、特技は「囲碁」。
とても強いです。
囲碁は、まさに、記憶力のよさと、空間認知が必要とされるもので、父にはぴったりのものでした。学生時代に出会い、メキメキと上達したらしいです。当然です。
苦手なことへの、ストレスと二次障害
ただし、父は、人の顔色が読めないので、リーダーシップをとったり、人をまとめたりするのが、苦手です。
「教えるのは上手だが、部下・同僚とのやりとりが苦手な先生」という立ち位置だったようで、40代から50代にかけて、管理職へ昇進してゆくにつれ、同僚や部下とのコミュニケーションに苦労していました。(今だとここからさらに「保護者とのやりとりも苦手な先生」というレッテルもつくかもしれません・・・。)
父は、顔色が読めずに、場に合わない発言をしてしまうことがあったそうですが、元来、温厚で人情厚い性格。悪意あっての発言ではないことや、日々の仕事への真摯な姿勢から、信頼で乗り切っていたところもあるようです。
ただ、父はストレスから大病を何度か患いました。
一命をとりとめたこともありました。
当時は、父の大病は、単純に「仕事上のストレスと、飲酒」とだけ思っていました。
今、思うと、根本の原因は、高血圧の遺伝もさることながら、「父の特性」もあったのではないかと考えています。
生涯何も知らずに、生きづらい人生を歩みつづけること。生き辛さを意識して生きること。
そう思うと、「発達障害」っていう言葉はいいなと思うんです。
もし、父の時代に、「発達障害」の考えがあれば、父は自分の特性を理解し、「コミュニケーションをどう変えてゆけばいいか」とか「自分の特性を活かした役職に就く」とかを、頭で理解して、もう少し楽に生きることができたのではないかと思います。
「自分はこういう脳の特性があって、努力ではどうにもならない」
「長所を活かして生きるのが得策」
「短所は方法を変えてカバー」
この3つを理解して、実行していれば、もっと楽に過ごせたのではないかと思うんです。
父と同じような特性をもって生まれた、うちの2人の男子だち・・・。。
これから何十年も長く生きる、この子たちのために、父がどのような人生を歩んできたかを学び、その経験を生かしたいと思っています。