長男の2語文の発話は3歳前後、この他にも「?」なことはありました
長男の2語文の発話は3歳前後だった
発達の検査を受けたのは、3年生の春でした。
一人目の子なので、言葉の遅さは、とても気になっていたので、両祖父母にいっぱい相談して、アドバイスをもらっていました。
何より、祖父も言葉が遅かったそうですし、「大丈夫じゃないか」ということで楽観していたのもあります。
ですが、言葉以外にも、ちょっと「あれ?普通と違うかも」と思うことはありました。
いくつか上げておきます。
1 踏切が大好きで、とても執着していた(10ヶ月~5歳)
踏切好きは、10ヶ月頃から、5歳くらいまで続きました。長かったです。
「カンカン!カンカン!」と言って、踏切を1時間は平気で眺めていました。
もちろん、光る踏切にとても執着していたので、開かずの踏切が大好き。
光出すと、「アアー」と言って、飛び跳ねて喜んでいました。
当然ながら、電車が1時間に1本あるかないかの、田舎の踏切より、都心の踏切が大好きでした。
思い出すのが、3歳くらいだったか、有名な東武スカイツリー線の竹ノ塚駅の、デラックス踏切を見に行ったときのこと。
それはそれは興奮していました。
興奮しすぎて、帰るのが大変でした。「帰る」という言葉に、ものすごい抵抗をしていました。普段の生活もそうだったのですが、執着するものについては、本当に切り替えがとても難しかったです。
11歳になった今、当時のことを語るのですが、自分が踏切好きだったことすら忘れています。理由を聞いても、「わからない」の一点張りです。
あの頃は、将来「踏切博士」になると思っていたのになぁ(笑)
2 副担任の手をずっと繋いでいた(年少の春)
年少の春から夏くらいまで、副担任の先生の手をずっと繋いでいました。
大集団の中で、心は不安でいっぱいだったのでしょう、手をつなぎながら、砂遊びをしたり、お遊戯をしていたそうです。
次第に幼稚園生活に慣れてきたからか、手をつなぐ行動は、夏休み前には、終わっていました。
3 タコの絵が描けなかった(年中の冬)
年中の冬の作品展で、どうしてもタコの絵がかけませんでした。
当時の先生から、見本の絵を指して、
「赤いクレヨンで、足が8本あって、頭は丸くかくんだよ」
と細かく伝えられたのですが、
「ゔーん、ゔーん」
とずっと白紙のまま。
お絵かきの時間はひたすら悩み続けていたそうです。
結局、先生が手を添える形で、描いたのだとか。
ぱっと思いつく限りで、こんな感じです。
当時は、日記やらブログを書いてはなかったので、ほとんどは忘れていますが、思いつくのはこのくらいです。
ご参考になれば、うれしいです。