発達2児と定型2児。4児の母のつれづれ

4児の母です。子どもたちをどう伸ばすか、育てるとはどういうことか、つれづれなるままに書き綴ります。長男・高専2年(書字障害、のび太)、長女・中3(不安気質な定型、出来杉)、次女・中1(コミュ力高く、情緒安定しまくり定型。ドラミ)、次男・小3(支援級、知的なしASD、バケラッタ)。

「でも」から始まる会話はしょげる

「でも」から始まる会話

毎年、何かしら「世話役」を引き受けます。保育園・幼稚園父母会、PTA、子ども会、マンション理事会、習い事の世話役・・・。

何もない年はありません。子どもが多い親の宿命です。

 

こうした役をしていると、いろんな人がいるのだな、といろいろ勉強になります。

 

その中のひとつがこれ。 

「でも」から会話を始めるな

 

ボランティア集団には、必ず「でも」さんがいます。

前向きな提案をしても、必ず「でも・・・」と否定から入る人。その発言の中に、「でも」の解決策は入っていません。

 

よく言えば、慎重な方なのかもしれませんが、議論をしていても、モヤっとするのです。モヤっと。

 

相手の心象も悪くなる、「でも」発言

「でも」発言は、一生懸命考えた相手の意見を否定する発言です。

 

これは、とても、相手に、印象が悪い

相手に、不快感を与えます。

 

そうなると、「でも」さんの発言は、相手が聞き入れてくれない、いや、聞き入れたくなくなる。

 

でもって、ますます「でも」さんは不満がたまり、ますます「でも」発言が増える。

 

相手はますます不快になる。

 

「でも」さん本人は、自分の会話のクセに気づいていない。ますますこのループは止まらない。

 

 

まとめるとこんな感じ。

 

<「でも」さんの、でものデモ>

「でも」さん、「でも」から会話する。

  ↓

相手の人に、不快感。

  ↓

相手の人、感情的に聞き入れない。

  ↓

「でも」さん、ますます感情的に「でも化」する

  ↓

相手の人、ますます不快感

  ↓

相手の人、意見を聞かなくなる

  ↓

でもさん、ますます強情に「でも」化する

   ↓

 ・

 ・

 ・

 

 

これは・・・!!

「でも」の負のスパイラルです!!

 

 

略して「デモフスパイラル」

経済学の用語にありそう(笑)

 

 

子どもとの会話に、自分の「クセ」がないか

他人のことを書きましたが、これは、

「気付かないうちに自分も子どもにしてないか

と考えたんです。

 

子どもを自分の思い通りに動いてほしくて、失敗をしてほしくなくて、子どもがせっかく言った意見に

「でも・・・私はこう思うわ」

と。

 

子:「この眼鏡がいいなと思うんだ」(Zoffで)

母:「でも、それ微妙。こっちがいいと思う」

 

 

子:「このおもちゃがいいな」(おもちゃ売り場で)

母:「でも、それすぐ壊れるで」

 

 

こう発言してしまう自分の深層心理には、

  • 子どもに自分の思い通りに動いてほしい(価値観の押し付け)
  • 失敗するから、最短距離を導いてあげてる(失敗への怖れ)

 

こうした気持ちがあるんじゃないかと思いました。

 

共感から始める会話にしよう

 

もっと違った言い方があるんじゃないかと思いました。

 

「それいいね!それにしよう」(眼鏡の柄にこだわらない)

「それいいね!お、こっちも似たようなのがあるで、見た?」(自分で決めさせる)

 

 

別に失敗していいし、価値観だってこだわるところはしっかりこだわって(生命にかかわること、道徳的なこと、経済的に制約があるところ)、別にどうでもいいところは、本人の意思に任せればええんちゃうか、と。

 

子どもといえども、一人の人格ある人間

共感から始めなければ、ならないんじゃないかと。

 

 

・・・そう、これまでの保護者会やPTA、子ども会等で学んだのでした。

 

 

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こんな2歳児の落書きは、いいね!(共感)できないナ・・・。