「でも」から始まる会話はしょげる
「でも」から始まる会話
毎年、何かしら「世話役」を引き受けます。保育園・幼稚園父母会、PTA、子ども会、マンション理事会、習い事の世話役・・・。
何もない年はありません。子どもが多い親の宿命です。
こうした役をしていると、いろんな人がいるのだな、といろいろ勉強になります。
その中のひとつがこれ。
「でも」から会話を始めるな
ボランティア集団には、必ず「でも」さんがいます。
前向きな提案をしても、必ず「でも・・・」と否定から入る人。その発言の中に、「でも」の解決策は入っていません。
よく言えば、慎重な方なのかもしれませんが、議論をしていても、モヤっとするのです。モヤっと。
相手の心象も悪くなる、「でも」発言
「でも」発言は、一生懸命考えた相手の意見を否定する発言です。
これは、とても、相手に、印象が悪い。
相手に、不快感を与えます。
そうなると、「でも」さんの発言は、相手が聞き入れてくれない、いや、聞き入れたくなくなる。
でもって、ますます「でも」さんは不満がたまり、ますます「でも」発言が増える。
相手はますます不快になる。
「でも」さん本人は、自分の会話のクセに気づいていない。ますますこのループは止まらない。
まとめるとこんな感じ。
<「でも」さんの、でものデモ>
「でも」さん、「でも」から会話する。
↓
相手の人に、不快感。
↓
相手の人、感情的に聞き入れない。
↓
「でも」さん、ますます感情的に「でも化」する
↓
相手の人、ますます不快感
↓
相手の人、意見を聞かなくなる
↓
でもさん、ますます強情に「でも」化する
↓
・
・
・
これは・・・!!
「でも」の負のスパイラルです!!
略して「デモフスパイラル」!
経済学の用語にありそう(笑)
子どもとの会話に、自分の「クセ」がないか
他人のことを書きましたが、これは、
「気付かないうちに自分も子どもにしてないか」
と考えたんです。
子どもを自分の思い通りに動いてほしくて、失敗をしてほしくなくて、子どもがせっかく言った意見に
「でも・・・私はこう思うわ」
と。
子:「この眼鏡がいいなと思うんだ」(Zoffで)
母:「でも、それ微妙。こっちがいいと思う」
子:「このおもちゃがいいな」(おもちゃ売り場で)
母:「でも、それすぐ壊れるで」
こう発言してしまう自分の深層心理には、
- 子どもに自分の思い通りに動いてほしい(価値観の押し付け)
- 失敗するから、最短距離を導いてあげてる(失敗への怖れ)
こうした気持ちがあるんじゃないかと思いました。
共感から始める会話にしよう
もっと違った言い方があるんじゃないかと思いました。
「それいいね!それにしよう」(眼鏡の柄にこだわらない)
「それいいね!お、こっちも似たようなのがあるで、見た?」(自分で決めさせる)
別に失敗していいし、価値観だってこだわるところはしっかりこだわって(生命にかかわること、道徳的なこと、経済的に制約があるところ)、別にどうでもいいところは、本人の意思に任せればええんちゃうか、と。
子どもといえども、一人の人格ある人間。
共感から始めなければ、ならないんじゃないかと。
・・・そう、これまでの保護者会やPTA、子ども会等で学んだのでした。
こんな2歳児の落書きは、いいね!(共感)できないナ・・・。